血を見る悪癖
家から出たことが無い。
俺はこの家に、そして自主的に閉じ込められている。
鉄格子に見えるものは死骸だけ。ひたすら頭の中に思い浮かぶものは、食べ物が欲しい。水を、そしてぬくもりや愛が欲しい。でも俺は、ここから出たらみんなを不幸にしてしまう。
そんなの……許されない。
俺が〝幸せ〟を求めたら、周りの人間が怯えてしまう。
怖いって言われてしまう。
だから、声すら出すことが許されない。
『タスケテ…』
人を求めてはいけないんだよ。
俺は、ずっとここにいなきゃいけない。
誰かの幸せを守る為なら、俺はここにいる。いつだって逃げられやしない。死という瞬間が来るまで黙ってもがき死ぬしかない。
「誰かいるの?」
久しぶりに聞く人間の声に、思わず顔を上げる。
鉄格子からでも見える彼女の細い首筋。そして華奢過ぎるくらいの細い手足、そして痩せこけた顔。今この子を喰ったら、悪いけど不味い気がする。
ジャラジャラと鎖の音を立てて、鉄格子の近くまで近寄る。
その音に気が付いたのか、彼女も恐る恐る近寄ってきた。
『ダレダ』
「あの、私、生贄なの」
まただ。
俺の残酷な罪を重ねようとしてきている。
俺は、首を横に振った。
『飯ハ、チャントクッテンノカ?』
「いえ……私、二日に一度の食事って決められてて……」
『ソレナラ、ダメダ』
「え、でもそれじゃあ……」
『先二言ウガ、オ前ハ、ソンナニ宗教村ヲ守リタイノカ?』
「ッ!」
言葉を失う彼女。みんな、俺を目の前にすると素直になる。毎回、馬鹿正直な村の生贄の連中に聞いていることは〝何故宗教じみた生贄という名の行いを平然とやってのけるのか〟という事。
大抵は口噤んでしまって、目をそらす。
そしてやっと口に出して言ったかと思ったら、内容は『死にたいから』とか『村のためなら仕方が無いこと』という事だった。
この女も同じように目を逸らして、気まずそうだった。
『無理シナクテモイイゾ、悪カッタ』
先に謝っておけばいい。
そう思って気まずそうな彼女に謝り、檻の奥へ行こうと体を動かした時、彼女は突然大きな声を出して答えてくれた。
「こんな村、もう長くは持たない。だからもうこれ以上犠牲者を出したくないの。お願い、手伝ってくれる?」
良い顔をしていた。
俺はニヤッと笑って『ワカッタ』と答えた。
──────────
数日後、俺は枯れ果てた村の真ん中に立っていた。
あの子に会うため。
そして、この村に別れを言う為。
あの日に、全てが終わったと思っていた。
だが、それは〝物語の始まり〟に過ぎなかった。あの日に見た光景は今も思い出す。血が彼女と俺の口を汚した。そして、純粋だった手も血に染まっていった。
もう、手遅れだった。
彼女もそれを分かっているのか、俺を見つけて早々ふわりと微笑んで手を振った。
「もうここに来る事がないって思っていたよ」
俺はポツリと呟く。すると彼女はふわりと微笑んで応える。
「ええ、私もそう思ってたわ。でも私達、あの日から〝生贄から逃れられない罪〟を償わなければならないのよ。二度と殺すことの無い神になるために」
「ほんとにそれ、なれるのかな」
「分からない。でも私は、世代交代の代わりでも充分幸せって思うわ」
「フン、相変わらず反吐が出るな」
「レディーになんて口効いてるのよ、最低ね」
「お前もだろ」
「あら、そうかしら」
ニコニコする彼女を無視して、俺はいつもの〝檻という名の家〟を眺めた。俺達はこれからも最悪な鉄格子の檻から出ることが出来ない。だけど、何度だってもがいて、鉄格子でもボロボロにして外に出るしかない。
その際〝バケモノ〟は二匹も要らない。
俺の手は勝手に彼女の腹を突き刺していた。ガハッと血を吐いて彼女は倒れた。俺は彼女の血肉を口に含むと、久しぶりの血の味に体が震えた。
もう、後戻りが出来ない。
そんな彼女との最期の夜空は、無数の星たちで埋め尽くされていた。これが死んだ人間の数だとは、死んでも思いたくない。
END